こまっちゃんの生い立ち

フリーエンジニアクリエイターの小松です。
今回は僕の自己紹介も兼ねて、これまでの経歴・生い立ちについてお話していこうと思います。

最初に就職した会社で感じたこと

私はもともとアイシン精機という自動車会社に勤めていました。4年制大学理工学部を卒業後、就職して大企業に勤めるといった一般的な就職の仕方です。

仕事内容はレクサスという高級自動車を開発す。結構やりがいのある仕事で仕事に就くことができて、順風満帆というか、敷かれたレールに沿って走っていました。それが22歳〜23歳くらいの時ですかね。

で、いつも通り仕事をしてたんですけども、就職してから1年くらいあることに気づいたんですよ。「あ、これ同じことの繰り返しだな。」と。

いわゆる、仕事がだんだんつまらなくなってくる感じ。「それがいつまで続くんだろう」と考えた時に、40年後くらいまでとすると気か遠くなってしまいました。

仕事内容も、自分の中ではもっとクリエイティブな仕事ができると思ったらそうでもなかった。結構軍隊のような会社だったので、すごいパワハラもはげしかったのを覚えています。

僕自身はパワハラなどはあんまり気にしないタイプですが、結構ツラかったんですよね。まあそれでも、「頑張って報われればそれでいい」と思っていました。

開発していた車は、『レクサスLS』という最高級クラスのハイブリッド車で価格は1500万円ぐらいする車。

ある日、「今開発している車に乗れるのはいつぐらいなんだろう」と思ったので、先輩に聞いてみました。

すると、「部長クラスになれば乗れるようになるんじゃない」と教えてもらったので、「部長になれば乗れるのかー。」となんとなく思っていましたね。

それからしばらく経って、朝会社に出勤して駐車場に車を止めようとしたところ、自分の前にヴィッツという車が止まっていることに気がつきました。

ヴィッツという車は、コンパクトカーで100万円くらいする車なのですが、そこから降りてきたのがなんと僕の部長だったんです。

そのとき思わず、「部長になっても乗れるのは100万円のエコカーかよ。」と感じてしました。

部長には家族がいるので仕方がないことかもしれませんが、僕からすると「夢も希望もないな」と思って「辞めよう」と改めて感じましたね。

でも、最初はなかなか決断できなかったですね。辞めようとは思っていたんですが、不安もあったし、「せっかく大企業に勤めたのに辞めたらどうしよう。親に反対されたらどうしよう。うまくいかなかったらどうしよう。」と思うわけですよ。

せっかくこれまで20何年間レールに沿って走ってきたのに、それを脱線するということは二度と戻れないわけじゃないですか。で、辞めることを同僚たちに言った時、かなり驚かれました。

もう高校中退すると言っているのと同じレベルだったらしいです。高校くらいはちゃんと卒業しておこうよ、路頭に迷うよ?みたいなノリです。

こんなことを言いわれたりしましたが、とにかく嫌だったので辞めることを決断したんですよ。

大手企業を退職して東京へ

辞めることにして東京に出てきたんですけども、結局仕事自体が『やりがいがある』と思ってやっていたものがそうでもなかったわけです。

やりがいのある仕事と思ったものが、実際はそうでなかったかなわけだから、「やりたいこと何?」と聞かれても「ないです」としか当時は答えられませんでした。

なので、いったん「結局自分は何をやりたいんだろう」と考えることにしたわけです。

大企業に就職したからと言って、レクサスが買えるわけじゃない。レクサス自体がどうしても欲しいというよりかは、経済的に豊かで、なに不自由ない生活がほしかったことに気がつきました。

経済的にも時間的にも自由でいたい。社会人になるとなかなか時間がないし。そう考えた時に、経済的にも時間的にも人脈的にも自由なライフスタイルガ手に入ればいいなと思うわけですよ。

だから仕事がやりたいというよりも、人生を楽しく生きたかったというのが一番だったんですよね。で、それを実現させるためには何が必要かと考えた時に真っ先に思い浮かんだのが収入でした。

それから収入を上げるためにまずしたことは、Googleで「高収入 バイト」で検索したこと。単純なんですけどね。

そうしたら、キャバクラばっかりヒットするわけですよ。思わず、「あー、くそっ。女性だったらよかったのに」と思いましたね(笑)

で、仕方がないので今度は「高時給 バイト 男性」で検索してみることに。すると、ズラーっとSEの求人がヒット。プログラミングの仕事と書いてあったのですが、幸いにもアイシン精機ではプログラミングのような設計の仕事をしていたので、そこからSEになりました。

その当時の時給は2000円くらいでした。ある日仕事の合間に、2歳年上の先輩から「フリーエンジニアになったわ、俺」と話してもらいました。当時の僕は26歳で先輩は28歳。

先輩は続けて、「俺月収50万超えたし〜」と話しているので、「それめっちゃいいですね。僕もなりたいです」と言ったわけですよ。

そしたら先輩も「小松くんもできるんじゃない?」と後押ししてくれたので「僕もなります〜」のような軽いノリでフリーエンジニアになる方法を教えてもらいました。

で、その通りにやってみたら、月収が55万円になったんですよ。仕事はパチンコ開発だったのですが「やったー」と思いましたね。(ちなみに、僕はパチンコが嫌いです。)

自動車が好きだったので、それを仕事にすれば幸せになれると思ったから就職したのに実際は違った。だからこの頃は「もう何の仕事でもいいや」と思ってましたね。

だからパチンコは嫌いだけど、それを開発して月収55万になったらそれはハッピーじゃない?と考えるようになったわけです。

実際仕事がはじまってやってみると、意外にもパチンコ開発は面白かったですね。でも、実はこの時僕にはプログラミングの実力がありませんでした。

開発経験というのも、アイシン精機ではエクセルエンジニアだったので、当時開発に必要なだった『C言語』というプログラミングの実力がないのに参画したわけです。

結局、「君、全然プログラミングできないじゃん」と言われて3ヶ月でクビになることを4回くらい繰り返してましたね。

クビになった経験から学んだこと

クビを切られる経験を繰り返していく中で学んだこともあります。クビを切られた後は、仕事を探し、スキルシートを書いて、面談に臨むという流れです。

ですが、スキルレベルが低いので当時はなかなか合格をもらえませんでした。10件、20件面談を受けても結果は不合格ばかりなので、メンタル的にも結構キツい。そこで、

  • どうやったら面談に呼ばれるか
  • 魅力的なスキルシートの書き方
  • 合格率が高まる面談の話し方

これらのことを自分の中でノウハウ化することに。

  • こういう話し方なら好印象だな
  • 逆にこのエピソードはダメだったな
  • こういう質問を受けることが多かったな

こんな感じでまとめていきましたね。もう何十回・何百回と面談を受けていたので同じことを聞かれることに気づいたんですよ。

最初は自己PRからはじまって、次にこういう質問されて〜という流れが多かったのでその部分をノウハウ化したわけです。

でも仕事決まってもクビを切られることが多かったので、そうならないためにもあらゆることを実験しました。

毎日職場の人とご飯に行ったりもしましたが、結局すぐに切られてしまいます。ご飯行ってもダメならホウレンソウをしっかりしようと、毎日報告書を書いたりもしましたね。

で、いろいろなことをやって行く中で、クビにされないノウハウも手に入れることができました。

その結果、クビにされることもなくなり、高単価の案件に参画することも可能に。月収75万円までいきましたね。

とは言っても、仕事自体は楽しくないし、つまんないわけすよ。仕事にやりがいを見出そうと思ってなかったので、その点に関してはどうでもいいと思ってやってましたね。

仕事を探す時も、仕事内容については重点を置いていなかったので。だから、働いているときは「つまんねーな」と思いながら働いている感じですね。それでもやれていたのは、収入が高かったからに他なりません。

フリーエンジニアとしての転機

働いていたある日、市場価値の高い案件に就いた方がいいと思うようになりました。特に、これから将来的に伸びて行く技術について。

より収入を上げつつ、キープしていくことを考えた時に

  • IoT
  • VR
  • AI

といった最先端技術を活用できるエンジニアになれば収入を高くすることができると思って、いろいろ調べるように。

調べていく中で技術を習得し、案件を探し、面談に臨んだ結果、渋谷にあるS社でお世話になることが決まりました。

当時の社長さんに「君、いいね」といってもらえてポテンシャル採用され、そこでVRの開発をはじめとした様々な経験を積むことができましたね。

その頃になると、仕事がだんだんと楽しくなってきて「ITやエンジニアリングん仕事ってすごく楽しんだな」と思えるように。

仕事も楽しいし、収入も高いし、休みたい時に休める。もちろん、プロジェクトに参画中は、休むことはできません。一般的なサラリーマンと同じ動き方をするので。

例えば、月収70万円であれば、6ヶ月くらいのプロジェクトが終われば次の案件を探さなければいけないですよね。でも案件を探す前に「休みますー」という感じで1ヶ月~3ヶ月ほど休んじゃえば、長期連休が取れますよね。

旅行にも行けるし、やりたいこともできる。収入は高いわけだから、それをしっかり貯めていればお金的にも問題ない。そうすることによって、自由なライフスタイルを手に入れることができたわけです。

でも、一人はやっぱり寂しいわけで。友達と遊ぼうと思っても、平日の昼間はみんな仕事しています。当然時間が合わないので会えません。そこで孤独な感じ、寂しさを感じてしまったんですよね。

周りの友達はそこまで稼いでいないけど、自分だけ収入は高くて豊かな生活を送っている。格差があるから、飲みに行こうと誘っても居酒屋一つ選ぶのに気を遣うわけですよ。

だから余計つまらなく感じてしまって。「社会人になっていい年齢なんだし、白木屋はやめておこうよ」みたいなノリがね。

結局、自分だけ豊かになってもつまらないことに気がつきました。この頃には、フリーエンジニアになったらみんな豊かになるし、仕事も楽しくなるのになと思うようにになっていたわけです。

あ、大企業のエンジニアはブラックなのでやめたほうがいいですよ。仕事はつまらないし、正社員はバカなだけだし。

でも中小企業なら楽しくて、やりがいのある仕事を任せてもらえたり、ポジティブに仕事をやっていくことができる。さらに収入も高い。

フリーエンジニアになることについて自信を持ってオススメできるようになっていました。

セレブエンジニアリング合同会社起業

自分が培ってきたノウハウが他の人にも当てはまるのかを証明するため、友達に無料で試してもらいました。僕のノウハウ通りに進めてもらったところ、みんなフリーエンジニアになることができていました。

僕がこれまで経験した苦い経験や苦労をせずとも、僕のアドバイス通りに素直にやってくれた人は全員フリーエンジニアに転身しているわけです。

今のところ、アドバイス通りにやってもらって成功できていない人は一人もいないですね。その結果、なんと30人ものフリーエンジニアを育てることに成功しました。

成功率でいうと、今のところ100%ですね。このノウハウをたくさんの人に提供することで社会的に貢献していければなと思っています。多くの人がより豊かで、楽しく仕事ができて、休みたいときに休めるように。

将来的にリモートワークをしたい人はやればいいと思います。僕自身も今リモートで仕事していますしね。

また、最近はセレブエンジニアサロンを形にして起業しました。起業したからにはこれからどんどん事業を拡大していきたいですね。ちなみに、会社名はセレブエンジニアリング合同会社です。

会社の理念はセレブな人をいっぱい輩出すること。世の中にはもっとハッピーに生きたいなと思っている人がたくさんいると思います。だけども、頑張っても頑張ってもうまくいかない人が大半なので、それは可哀想だなと思ったわけですよ。

セレブエンジニアリング合同会社は、今の現状を打破して、もっと上のランクに行きたい人にはお手伝いしたいなと考えていて、それを実現するための会社です。

最後に

ITがこれからどんどん伸びて行く今の時代において、フリーエンジニアなるための環境は追い風状態。目指してから成功するまではもうあっという間です。

「じゃあその状態はいつまで続くの?」とよく聞かれますが、答えは簡単。今では小学生でもプログラミングを勉強しているくらいなので、10年から30年はどんどん仕事が増えて行くだろうと言われていいます。

だからこそ、今攻めない手はないと思いませんか?サラリーマンとして人生の守りに入っているよりも、自分の実力をつけていく。実際、プログラミングを習得することはそんなに難しいものじゃないですし。

真面目にやればだいたい3~4ヶ月あれば勉強できるし、ペースが遅い人でも1年あれば十分習得可能。だからこそ、今から始めてみてはいいんじゃないでしょうか。

ということで、セレブエンジニアサロンでは、定期的にセミナーを開催しています。セミナーの内容について知りたい方は、問い合わせの情報を載せた下記のURLから申し込んでみてください。

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ありがとうございました。